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幡羅郡 延喜式内 奈良神社 [パパの趣味]


こんにちは。以前、東山道武蔵路の利根川~邑楽郡 古氷の探訪記を書きましたが、こんどはちょっと南に下って熊谷~奈良地区です。今回も参考書は大本雅康氏の「古代の道路事情」さらに、同書で奈良神社について引用されている 菱沼勇氏の「武蔵の古社」(有峰書店)です。 まずは「古代の道路事情」で紹介しているルートです。
地図.jpg
図中、四角い記号はカメラの向きのつもりで、丸番号が写真No.を示します。 この道は国道17号の西に平行に走る一通道路の延長線上にあります。八木橋付近からスタートし、407号を越え「くまピア」前を通過、17号バイパスの下をくぐり、見事に①に達します。
Fig1豊布都神社.jpg
写真1 豊布都(とよふつ)神社


「御霊社」とも呼ばれ、ここと地図上で北にある東光寺の間をむかし、荒川が流れていて「御霊の渡し」で行き来していたそうです。写真2はいまは農業用水になっている元荒川の川原(?)です。
Fig2_中奈良_御霊の渡し付近.jpg
写真2 「御霊の渡し」


確かに、少し河岸段丘っぽく見えますが、現在の荒川の水量ではあっという間に氾濫してしまいますね。昔は荒川の水量が少なかったのでしょうか?? 県道に出てさらに東北に向かうと407号「中奈良」交差点の前で奈良神社の一の鳥居が見えてきます。
Fig3奈良神社一の鳥居.jpg
写真3. 式内社 奈良神社一の鳥居


酒屋さんのとなりに、本当に忽然と現れます。ここから先が参道、と言うことになるのでしょうが実際は両脇に民家が立ち並び、生活道路になっています。300mくらいで二の鳥居、三の鳥居 そして本殿が見えてきます。
Fig4奈良神社_二の鳥居.jpg
写真4. 式内社 奈良神社


「武蔵の古社」によると、続日本後紀に嘉祥2年(西暦849年)付けの記述があるそうです。インターネットなどではその当時からほとんど位置を変えていないそうです。小振りな社殿ではありますが、由緒正しそうです。敷地内に嘉永4年(1851年)の石碑が建っていました。「「武蔵の古社」にはさらに、ここから東北約500mの地点に「和銅四年 奈良神社 涌泉旧蹟」なる石碑の存在を記しています。これは見つけねば!! グーグルであたりをつけ、2回ほど現地を回りました。やっと見付けたのが写真の石碑です。
Fig5_水源の石碑_道路より見る.jpg
写真5 畑の中に立つ 涌泉旧蹟の石碑

 写真の右端にある小さな石碑がそれです。 左手の高台にあるのはお墓のようです。同書では「田の間に15平方メートルばかりの窪地があり、その北側にわずかに水が溜まっていた」と記しています。私の訪問した時は石碑は畑のはずれにありました。また石碑の東のほうに水が溜まっていました。その気になれば動かせそうな石碑なので、著者の菱沼氏が見た時は現在民家の敷地になってしまった位置に立っていたのかもしれません。 今回は省略しますが、写真を取った位置の背面側に「大正13年 御成婚記念」と銘打った石の道標が立っています。「中奈良」「大正13年 御成婚記念」「道標」で探すと画像を載せたサイトが見つかります。奈良地区、結構楽しめました。ではまた。
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