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「サンコー電子」プロジェクト その1/2 [パパの趣味]

こんにちは。またまた、間が空いてしまいました。今回はヤフオクで「周波数直線バリコン」なるものを入手したことに端を発する記事です。
周波数直線バリコンというと、トリオやヤエスのVFOに使われていた500kHzを1kHz単位で読めるあれを想像してしまいます。今回入手したのは、昔々ナショナルが短波受信用に販売していたものです。パンフレットを載せます。画像は「ラジオ工房」内田OMのサイトからコピーさせていただきました。
DC18シリーズ.jpg
私の入手したのは3DC-18という、3連のタイプです。このバリコンを使うと、どれだけ周波数目盛りが等間隔になるか確認したい、という一心でこのプロジェクトを始めました。

このバリコンを試すには、まずマザーになる受信機を用意する必要があります。ここで登場するのがタイトルにした「サンコー電子」のユニットです。 私は小学生時代にお小遣いをはたいて SV-400B受信コンバータ とSIF-455中間周波数基板を使い受信機を作ったことがあり、そのときのユニットが埃だらけながら残っていました。 SV-400Bの仕様です。
SV-400Bカタログ.jpg
とりあえず接続して受信してみると、音声がやけに歪んでいます。いろいろな出力波形を観察するとAGC電圧がフラフラしています。いわゆるポンピングですね。 サテ、どれがAGCの時定数を決めているコンデンサーはどれか?? なんとも手掛かりがないので、結局は意を決してプリントパターンから回路図を起こしました。
SIF-455回路図.PNG
図中、16μ→220μとなっているのがカット&トライできめたAGCの時定数です。SIF-455の回路図をお持ちのOM様、この回路図に間違いがありましたらぜひご指摘ください。

周波数直線バリコンとサンコーのユニットをブレッドボート上に組み立てた検証機が次の画像です。
受信セットs.jpg
SV-400Bにはバーニアダイアル、直線バリコンにはアイデアルMD-101を接続しています。さて、直線の精度はどのくらいだったか? 計測方法とともに次回、投稿します。最後に、周波数直線バリコンの羽根のアップです。 長細い形状をしているのがわかります。
周波数直線バリコン.jpg
ではまた。

いつもの5月連休 [パパの趣味]


2013年のゴールデンウィークもブログアップしていて、それから11番目の記事になります。大体2ヶ月に1件のペースです。So-netからは「マメ度」が低いと言う評価をもらうのも無理はないですね。

で、5月と言えば「きすげまつり」と「くらやみ祭」です。
きすげまつりは府中市若松町の浅間山にのみ自生する固有種ムサシノキスゲを観察するイベントで、浅間山のあずまやでパネル展示などが行われます。行ったのは5/3でしたが、まだ少し早い感じでした。今度の週末も展示を行うそうなので、週末のほうが良いかもしれません。
6.アップ_浅間山西s.jpg

続いてくらやまみつり。こちらはいつもどおりの賑わいでした。気になったのは昨年あたりから「ファンシーくじ」が2軒→1軒になってしまったことで、お父さんのほうが引退してしまったのか? 行ったのは5/4で昼間に萬燈コンテストが行われていました。 写真はフォーリス前のケヤキ並木で撮影したものです。
2.フォーリス前萬灯2s.jpg
パターン化していますが、この二つは毎年楽しみにしています。

今年の連休は会社の都合で休みが長かったので工作もこなせました。また、報告します。

萬葉堂書店に行って来た [パパの趣味]

またまた間が空いてしまいました。久々ですが、こんにちは。


月刊「本の雑誌」4月号はあの有名な岡山の万歩書店を特集していましたが、記事の中で他地域の大型古書店として仙台の萬葉堂書店を挙げていました。仙台ならば他の用事もあり早速、場所を確認。会社の連休期間に行って来ました。
5萬葉堂書店鉤取店s.jpg
外観です。内部は撮影お断り、ロッカー使用は万歩書店風です。ちょっとした郊外型書店のように見えますが蔵書10万点は半端ではない。特に地下の書棚がイカしていて、電球の点る薄暗いスペースに古るっーい本がうなっていました。古すぎて私が地下から選んだのは一冊だけ。1Fで五味康祐氏の「西方の声」と成瀬政男教授の「歯車と私」をピック。3冊で5,500円でした。まあ、相場並みの値付けでしょうか。
仙台に行った目的のもう一つ。市民図書館の蔵書で仙台鉄道の地域資料があるようで、見てみたいと思い市内中心部にある「せんだいメディアテーク」に向かいました。写真は、定禅寺通り越しに見える建物です。
12春日町交差点よりメディアテークs.jpg
ところが行った当日は月曜で図書館は休館。トホホでした。代わりに同7Fでやっていた震災前後の写真展をのぞいてきました。。魚屋さん、駄菓子屋さんなどを中心にした生活感ある通りがあの日を境にひら地に戻ってしまう。失われたものの大きさを写真は物語っています。
ところでメディアテーク7Fからは、定禅寺通りのケヤキを見下ろすことになります。こんな感じ。
16メディアテーク7Fよりs.jpg
ちょうど新緑で、仙台が一番きれいな季節ではないでしょうか。 今回はあたり・はずれとも本尽くしの仙台訪問でした。

幡羅郡 延喜式内 奈良神社 [パパの趣味]


こんにちは。以前、東山道武蔵路の利根川~邑楽郡 古氷の探訪記を書きましたが、こんどはちょっと南に下って熊谷~奈良地区です。今回も参考書は大本雅康氏の「古代の道路事情」さらに、同書で奈良神社について引用されている 菱沼勇氏の「武蔵の古社」(有峰書店)です。 まずは「古代の道路事情」で紹介しているルートです。
地図.jpg
図中、四角い記号はカメラの向きのつもりで、丸番号が写真No.を示します。 この道は国道17号の西に平行に走る一通道路の延長線上にあります。八木橋付近からスタートし、407号を越え「くまピア」前を通過、17号バイパスの下をくぐり、見事に①に達します。
Fig1豊布都神社.jpg
写真1 豊布都(とよふつ)神社


「御霊社」とも呼ばれ、ここと地図上で北にある東光寺の間をむかし、荒川が流れていて「御霊の渡し」で行き来していたそうです。写真2はいまは農業用水になっている元荒川の川原(?)です。
Fig2_中奈良_御霊の渡し付近.jpg
写真2 「御霊の渡し」


確かに、少し河岸段丘っぽく見えますが、現在の荒川の水量ではあっという間に氾濫してしまいますね。昔は荒川の水量が少なかったのでしょうか?? 県道に出てさらに東北に向かうと407号「中奈良」交差点の前で奈良神社の一の鳥居が見えてきます。
Fig3奈良神社一の鳥居.jpg
写真3. 式内社 奈良神社一の鳥居


酒屋さんのとなりに、本当に忽然と現れます。ここから先が参道、と言うことになるのでしょうが実際は両脇に民家が立ち並び、生活道路になっています。300mくらいで二の鳥居、三の鳥居 そして本殿が見えてきます。
Fig4奈良神社_二の鳥居.jpg
写真4. 式内社 奈良神社


「武蔵の古社」によると、続日本後紀に嘉祥2年(西暦849年)付けの記述があるそうです。インターネットなどではその当時からほとんど位置を変えていないそうです。小振りな社殿ではありますが、由緒正しそうです。敷地内に嘉永4年(1851年)の石碑が建っていました。「「武蔵の古社」にはさらに、ここから東北約500mの地点に「和銅四年 奈良神社 涌泉旧蹟」なる石碑の存在を記しています。これは見つけねば!! グーグルであたりをつけ、2回ほど現地を回りました。やっと見付けたのが写真の石碑です。
Fig5_水源の石碑_道路より見る.jpg
写真5 畑の中に立つ 涌泉旧蹟の石碑

 写真の右端にある小さな石碑がそれです。 左手の高台にあるのはお墓のようです。同書では「田の間に15平方メートルばかりの窪地があり、その北側にわずかに水が溜まっていた」と記しています。私の訪問した時は石碑は畑のはずれにありました。また石碑の東のほうに水が溜まっていました。その気になれば動かせそうな石碑なので、著者の菱沼氏が見た時は現在民家の敷地になってしまった位置に立っていたのかもしれません。 今回は省略しますが、写真を取った位置の背面側に「大正13年 御成婚記念」と銘打った石の道標が立っています。「中奈良」「大正13年 御成婚記念」「道標」で探すと画像を載せたサイトが見つかります。奈良地区、結構楽しめました。ではまた。

アキバの変化(さらば、昭和の風景) [パパの趣味]

半年以上、間が空いてしまいました。 五月末に、部品を仕入れにアキバに行って来ました(作品紹介は次の機会に・・)。 アキバに行ったら必ず覗く部品屋さんが何軒かあります。山手線ガード下の「国際セジオ」もその一軒。昭和からそこにあったような部品が並んでいます。 昔のカーラジオのプッシュボタン式同調メカなんて他には置いていません。ところが、行ってみてびっくり! 店がなくなっています。
国際ラジオ閉店2s.jpg
部品の展示棚がなくなり、すっかりもぬけの殻。 こんなことなら、あれやこれや、買っておくんだった。数ヶ月前にマジックアイを安売りしていて、何本か買っておいて良かった。
そのまま神田川を渡ると、有名な看板建築「海老原」のとなりが取り壊しになっています。
海老原の隣s.jpg
下は、'13年6月の風景です(以前、ブログにアップした写真です)。
海老原商店s.jpg
見慣れた風景がどんどん変わって行ってしまいます。仕方のないことではありますが・・せめてせっせと写真に残しておきたいと思います。



東山道武蔵路その4/4[脇道と感想] [パパの趣味]

ちょっと間が空いてしまいました。最後に、帰り道で見つけたチョット良い別ルートを紹介し、感想を述べさせてもらいます。 まずは地図の振り返り:
撮影場所_古戸.jpg
帰り道は20番以降で示した、別ルートを行ってみました。20番は利根川方向に向かって写しています。この先、道があるとは思えませんよね。
20寄木戸別ルートS.jpg
ところか゜、コンクリ塀と生垣の間を進むと・・
21別ルートの竹薮S.jpg
こんな道が忽然と現れます(写真21番)。こっちも古そうではないですか?? 「雨月物語」にでも出て来そうですね。竹薮の中を通り抜けると24番の地点に出、利根川が見えてきます。写真で、向こうの方に見えるアーチ上の橋桁は刀水橋のものです。
24竹薮出口から刀水橋方向を臨むS.jpg
もとの地点まで戻ったところで今回の探検はおしまいです。ただの田舎道と思っていましたが、竹薮あり・五叉路、六叉路ありで結構楽しめました。
さて、最後に感想です。今回の道が古代道路の名残といわれても、正直「どうかな~」です。理由は、①道幅が、軽一台通るのがやっとな細さ ②道沿いに遺跡の分布なし ③ 終点とした長良神社は由来石に1742年創建と明記。 それに、自宅の近くを通る府中街道は国分寺で上り坂になるのですが、この地点で府中街道をはさんで西に伝鎌倉街道の切り通し、東に武蔵路の遺跡が走っていて、道路というものは目的地が同じでも、いとも簡単に付け替えられてしまうことを示しています。今回訪ねた、邑楽郡古戸地区の武蔵路も、大体この辺を通っていた、というのは正しいのでしょうが「まさにこの道」というには遺跡でも発掘されないと想像の域を出ない、と言わざるを得ないと考えます。納得性を高めるにはやはり、遺跡分布とか考古学的事実に基づく必要があると強く感じました。世の中には「古代交通研究会」という学会もあるようです。研究成果を期待したいと思います。
(このトピック終わり)


東山道武蔵路その3/4[f点~長良神社] [パパの趣味]

さて、f点を足利方向に進みます。まずは現代の地図です。

撮影場所_古氷s.jpg
地図中、左下のf点から北北東方向に進みます。この道、やたらと交差の多いポイントがあります。撮影点11と14は6叉路、点15は5叉路です。下の写真は点11の6叉路です。
11.六差路.JPG
写真に道の番号を振ってみました。私は1の道から、5の道に抜けました。ところで6の道を通ると八坂神社を通過して末廣神社方向に向かいます。現代の地図を見ると末廣神社のあたりは見事な碁盤の目になっていると思いませんか?
これは古代の条里制地割りの名残といわれているそうです。 歩を進めて、点14で国道354号線を渡り、15点の5叉路に出ます。前出「古代の道路事情」によるとこのまま直進して富士重工大泉工場の中を突っ切り竜舞、足利に向かう道が有ったのだそうですが、現在は失われています。点15の写真です。
15古氷5叉路s.jpg
ここでも道に番号を振ってみました。5叉路と説明しましたが、五番目はカメラの背面方向にあり、写っていません。「武蔵路」はここで途切れてしまいますが一応、この先にある長良神社に向かうため2の道を進みます。 次の写真は長良神社です。
17長良神社鳥居s.jpg
「古代の道路事情」ではこの神社が平安後期につくられた「上野国神名帳」に正一位と登録されている長柄神社と比定していますが、この神社には由来を記した石碑があり1742年創設と書いてありました。うーん、どうなんでしょうか。今回のレポートはここまでにします。次回は帰りにに見つけたちょっとイイ感じの脇道を紹介し、感想をまとめたいと思います。ではまた。

東山道武蔵路その2/4 古戸~f点 [パパの趣味]

では現地の様子を写真とともに紹介します。ブログは、①古戸~f点 ②f点~長良神社 ③オマケの脇道 の3回に分けてアップしていきます。まずは地図です。
撮影場所_古戸.jpg
図中、カメラマークの番号は写真の順番、カメラの向きは撮影方向を示しています。赤い点線が歩いた道です。全部は載せられないので(しょーもないのもあり)、本文になくて見てみたいのがあったらリクエストを投稿ください。
ファミマの近くから道は始まります(写真2)。遠くのほうに竹薮が見えます。
2入り口s.jpg
竹薮はこんな感じです(写真4)。奈良時代から竹やぶな保証は全然ないのですが、古そう!な感じです。
4古戸町竹やぶS.jpg
さらに進むと田んぼのあぜ道に変わり、道が途切れてしまいます(写真7)。
7寄木戸通行止め点S.jpg
しょうがないので写真7の左手、木がこんもり生えている辺りから回り込んで別の田んぼのあぜ道をとおり、f点で交差するもう一つのほうの道に出ました。これが写真9で、中央の、木の生えている場所が写真7にも写っていました。
9稲荷神社まえ道路よりS.jpg
さらに歩を進めるとf点に到達します(写真10)。左に行くと新田経由で京都へ、右に行くと足利経由で多賀城に向かう分岐点(本当か??)です。
10f点S.jpg
前半部分は以上です。どうだったでしょうか? 途中、古そうな部分もありましたが、奈良時代から使われている道路と言われてもどうかな~という感じですね。感想は最後にまとめたいと思います。ではまた。

東山道武蔵路[群馬県邑楽郡]その1 [パパの趣味]

月刊「東京人」2013年10月号に、約1300年前の奈良・平安時代に府中国府~群馬県太田市(上野国新田駅)を直線でつなぐ道路(官道)が存在していたとのこと。名前は東山道武蔵路。府中側は、府中・国分寺で発掘されている道路跡がこれに当たるそうです。これは!と思い、いろいろ図書館で調べました。ズバリ解説してくれているのが木本雅康氏の「古代の道路事情」(吉川弘文館)でした。その中で目を引いたのが利根川を渡り、邑楽郡古戸付近で太田方面と足利方面に分岐する部分です。同書より引用です:
古代の道路事情.jpg
b点で利根川を渡り、e-f-g方向で足利方面、f-j-h-iで新田方面に向かいます。f付近が分岐点と推定されています。気がついたのですが、e点は私が仕事で大泉に行くときに通過する、ちょうどファミマがあるあたりです。ここから、赤線で示したとおり現存する道が奈良時代の官道跡と比定されています。いつも通る道から、奈良時代から続く道があるとは!! 早速現地を訪ねてみました。次回、報告します。

仙台オーディオパーツセンター [パパの趣味]

夏休みに実家に里帰りしたついでに「仙台オーディオパーツセンター」に立ち寄って来ました。昭和の時代には仙台の中心街に「小松電気」」「梅沢電気」と部品屋には事欠かず、「オーディオパーツセンター」はとちらかというと新参のイメージでしたが、今となって残るのはこのお店だけです。では、向かいましょう。 アーケード街を藤崎前で離れ、大町方向に進みます。 小中央通りより青葉山.jpg 写真は旧「佐利総本家」前より青葉山方向を望んでいます。 芭蕉の辻で北に方向を変え、戦災復興記念館に向かいます。さらに西に進めば「パーツセンター」はすぐそこです。 小仙台オーディオパーツセンター.jpg 時間は夕方五時頃、ちょうど店主さんが一服しようと入り口に姿を見せています。店内にお邪魔して、中古セールのチョークコイル(Tango 5H 250mA)1500円と電球ソケットを2セット買いました。電球はカソード抵抗がやたら熱くなるので電球を光らせてみよう、と買ったものです。お店は部品の在庫満載、というわけに行かず、あるもので欲しいものを選ぶ、といった趣です。でも買おうと思っていた電球のちょうど良いのが手に入り、ついでにチョークを安く手に入れられました。里帰りの際にしか寄れないのですが、いつも何か掘り出し物をゲットしています。店主さんもお元気そうでしたので、ぜひお店を続けていただきたものだと思いました。 仙台の町は地下鉄(東西線)増設で工事中が目立ちました。 小青葉通り青葉山方向 (2).jpg


ではまた。

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